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アラフィフさぴこのなんでもない毎日の暮らしの雑記帳


北海道胆振東部地震から丸3年 ブラックアウトの経験は忘れられないものになりました

検証ブラックアウト 北海道胆振東部地震

 

今日で胆振東部地震からちょうど丸3年。

 

今でも当時のことを鮮明に思い出すことができるくらいの衝撃を受けた数日間でした。

 

今日は3年前のことを思いだしながら防災についてをもう一度考えるきっかけにしてみようと思います。

 

前日深夜には大きな台風、そして当日深夜に大地震

 

地震発生の前日深夜には大きな台風が通過し、札幌市内でも木が倒れるなどの被害がありました。

 

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台風のせいですっかり寝不足となっていた9月5日。

 

今日はゆっくり寝ようと思っていたその早朝午前3時7分にあの地震が発生したのです。

 

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地震発生直後は大きな地震が発生したということしかわからずその後すぐに停電になってしまったのでとりあえず明るくなるまで待ってから1階へ降り、リビングやキッチンの被害の確認とお風呂の浴槽に水を貯めたことを今でも鮮明に思い出します。

 

3年前の9月6日

 

午前3時に枕元に置いていたスマホからの緊急地震速報の音に驚き、そしてその後の揺れの大きさにも驚きましたが、幸いなことに我が家自体に被害はありませんでした。

 

どういう状況になっているかを知ったのは少し時間がたってから。

 

停電でテレビでの情報収集も出来ず、ネット環境も動画だと通信量が増えることからテキスト中心のTwitterとラジオでの情報収集をして、何が起こったのかをやっと把握することができました。

 

それにしても北海道中が停電しているという状況ですので、夜は本当に漆黒の闇。

 

星が怖いほどきれいな夜でしたが、それを楽しむ余裕はありません。

 

翌日も停電は続き、しかもスマホも基地局の電源が切れてしまってなかなかつながらなくなってしまったため、情報収集はラジオでしか出来なくなっていました。

 

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昔使っていたガラケーのワンセグで時間を短時間テレビでの情報収集をしたのですが、その時に初めて胆振の状況を見たのです。

 

スマホの電源は車で充電ができましたがガソリンも手に入りにくい状況が続いていたため、必要最低限の利用ということで充電中だけは車のテレビを見ることができました。

 

9月7日夜に復電

 

丸2日以上の停電かと思いましたが翌日の夜8時過ぎに復電しました。

 

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ただこれで終わりではなく、ここから普通の生活に戻るまでは思っていたより時間がかかりましたよ。

 

復電後もしばらくは節電生活でしたし、牛乳や野菜やお肉が買えなくて大変でしたからね。

 

あ、納豆も普通に買えるまでに結構時間がかかりました。

 

防災意識が高まった

 

モバイルバッテリーの充電、そして車のガソリンは半分以下にならないようにしています。

 

食料品は長期保存が可能なものはローリングストックして日常的に食べながら災害に備えるようになりました。、

 

ただ、地震の後しばらくは冬にこんな地震がきたらどうしようと不安になっていましたが、喉元過ぎれば熱さを忘れるではないですが最近その意識が薄れてきているような気がしています。

 

胆振東部地震の時はちょうど暑くもなく寒くもなかったのですが、これが極寒の時期ならもっともっと大変なことになっていたことでしょう。

 

ポータブルの灯油ストーブも用意していませんが試運転もしていないので今年は箱から出してみようかなと思います。

 

9月1日は防災の日ですが、北海道民は9月6日の方が防災に関してを考える機会になっているような気がしますよ。

 

おわりに

 

3年前のあの日小学生だった子供も今年は中学生です。

 

公共交通機関での通学なので、万が一のことがあった時にどう行動するかを先日子供と確認しました。

 

避難場所の確認と家に戻ることができなくなった場合の家族の集合場所の確認もしています。

 

毎年9月6日にはあの地震で犠牲になった方々を追悼するとともに、防災用品の確認と家族の避難場所の確認を忘れずにしていくつもりです。

 

地震だけでなく近年の日本はいろいろな災害が多いので、大丈夫と思ってももしもの時のために準備をしましょうね。

 

それでは!!