今週のお題「平成を振り返る」
平成も残すところあとわずか。
昭和から平成へと変わった時は高校生だったさぴこも47歳になりました。
はてなブログの今週のお題が「平成を振り返る」だったので、この30年あまりを10年づつ分けて振り返ってみようと思います。
平成の初期
平成元年は高校生だったさぴこは平成2年に大学に入学、平成6年に卒業しました。
大学在学中はちょうどバブル期真っ只中で大学のサークル活動もスポンサーがついたりととても盛んでしたし、バイト先も困ることがなく、今思えば一番楽しい時期だったかもしれません。
そんな毎日も長くは続かず、就職活動開始直前にちょうどバブルが崩壊しました。
そして前年までのバブル期に大量採用をしていた会社が一斉に採用を凍結し始めた、就職氷河期1期生です。
それでもさぴこは2社の内定をもらうことができましたけど、周りの特に女子の友人は非常に厳しい状況で卒業を迎えていました。
短大に行った友人はまだバブル期で引く手あまただったので、たった2年でこんなにも状況が変わってしまうなんてと愕然としたことを思い出します。
平成の中期
平成の中期は仕事の日々でした。
入社から5、6年って一番忙しかった気がします。
徐々に仕事内容が実務からマネージメントに移り、会社でも古株になっていくわけですけれども、結構辛かった記憶もあります。
家には寝に帰ってくるような感じで、なにもできませんでしたし。
共働きでしたけど家事はすべて私がしていましたから、毎日とても疲れていました。
でも今考えれば仕事は大変だったけど仲間と一緒だったのは楽しかったな。
平成の後期
平成の後期にはこれまでの生活が360度変わりました。
妊娠、出産です。
正直、出産前は子供を産んでも保育園に入ることができれば仕事は今まで通り続けられるだろうと思っていました。
でも、想像をはるかに超えていましたね。
ずっとワンオペで、大変だった時に実母やダンナに助けを求めても自分には無理だといわれたときには絶望しかありませんでした。
母は昔から頼りにはなりませんでしたし、ダンナにも仕事があったので、私も長年仕事をしてきた身ですから仕方ないところは理解していたのですけれども、自分だけがなぜ?という気持ちでいっぱいで。
その後会社から離れて、短時間のお仕事をいくつかしましたけど今は専業主婦。
多分今が一番平和なはずなのに、母の介護問題や育児で常に悩みは尽きませんね。
就職氷河期1期生にとっての平成
今、タイムリーな話題として就職氷河期を「人生再設計第一世代」と呼ぼうなんてニュースが出ていましたけど、この世代にとっての平成はまさに試練の30年でした。
人数が多かったこの世代は大学入試はどこの大学も今とは比較にならない倍率の高さで、努力して希望した大学に入ってもその後待っていたバブル崩壊で出口を閉ざされ、運良く希望する会社に滑り込めても上にはバブル入社組が蓋をしていて、40代になってやっと自分たちが主導になってと思ったらリストラ対象に、と、こう書き出すとなかなか悲しい年代だなと思います。
でも間違いなく平成が自分の人生の中で一番中心となった時代であることに間違いはないですね。
その平成が終わるということは、自分の一番中心となった時代が終わるという意味にも感じてしまい、最近自分でもちょっとナーバスになっているような気がします。
昭和の時代ってまだいろんなものが未完成で中途半端でめちゃくちゃなところがいっぱいだったのですけど、それでもこれからいい世の中になっていくという漠然とした期待がありました。
平成はいろんなものが完成し、一層の効率化を求め、失敗を認めない、でもこれからの世の中にちょっと不安を感じる時代でもあった気がします。
おわりに
今小学5年生の子供が生きる上でメインな世代になるだろうと思われる令和。
さぴこの人生の総まとめも令和になります。
まだ令和になってもいないのにもうなんだか馴染んでしまっているような気がするのは気のせいでしょうかね。
こんなグッズが販売されているのを見ると、みなさんもそうなのかしら?
でもこういうお祭り騒ぎは嫌いじゃないさぴこなのでした。
それでは!!