みんなたのしくすごせたら

アラフィフさぴこのなんでもない毎日の暮らしの雑記帳


ザ・ノンフィクション 「私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録」を見て

安楽死を遂げた日本人 (小学館文庫 み 20-2)

 

昨日、フジテレビで放送されたザ・ノンフィクションを今日Tverで視聴しました。

 

今回放送されたのは「私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録」。

 

ガンが全身に転移し、脳への転移が確認されたことをきっかけに安楽死を決断した女性のお話です。

 

女性には当時小学6年生と高校3年生のお子さんがいて、お子さんを残して夫とふたりでスイスでの安楽死を選んだ女性の心情を考えると、年齢の近い子供がいる身にとって胸を締め付けられるようでした。

 

この決断について、きっとご本人の胸中では想像もできないほどの葛藤があったのだと思います。

 

通っていた病院や担当された医師についてもいろいろな考えがあったはず。

 

きっときっといろいろなことを考えて出された結論だったとは思いますが、完治しない病に痛みに耐え続けなければならない恐怖はもちろんのこと、脳へ転移したことにより間もなく自分が自分でなくなってしまうかもしれない、もしかしたらおぞましい言動や行動をするかもしれない、そしてそんな姿を子供達に見せたくはないという気持ちがあったのではないか、そう思うのです。

 

治る見込みのない延命治療で脳に転移してしまったあと予想もつかない自分の姿を最期に見せるのではなく、いつもの姿のままの記憶を残してもらいたいということだったのかもしれません。

 

自分なら、どういう決断をしただろう。

 

できることなら子供が成人するまで1日でも長く一緒にいられる方法を選択したいという気持ちはありますが、日常生活を送ることができなくなって、日々の激痛との戦い、家族との会話もできなくなるかもしれないという状況が目の前に迫ってきたときにどう思うのだろうか、と。

 

現在の日本では安楽死は認められていませんので緩和ケアを選んで少しでも痛みを減らし1日でも長く普段と同じようにすごせるようにすることしかできないかもしれませんが、もし今後安楽死を選べる世の中が日本にもきたとしたら、最後の最後まで悩むような気もします。

 

私の父が膵臓がんで無くなる前、最期まで死の恐怖というより痛みへの恐怖を訴えていました。

 

そのとき、もしそんな状況になったら痛みを感じなくて済む薬を先生にお願いするからねと話をしたことを思い出します。

 

本人は告知後から無理な延命治療を希望していなかったため、朝に痛みで辛そうな状況になった際に鎮静のための点滴をしてもらった後、その日の夕方父との最期の別れとなりました。

 

生きている限り終わりは必ず誰にでもあります。

 

その日がいつなのかはわかりませんが、自分の最期は自分で決められるような状況になったときにはどうしたいか、きっとなにを選んでも正解なんてないものなので自分が納得できるものにできたらいいのかな。

 

今回のザ・ノンフィクション 「私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録」はTverで6月16日まで配信されています。

 

tver.jp

 

私は胸がいっぱいになって大号泣してしまったので、もし悲しい内容を視聴したくないというかたにはおすすめすることはできませんが、家族のかたちとこの女性の最期の選択について考える機会をいただける貴重なドキュメンタリーです。

 

私の場合は子供と一緒に見るという選択はしませんでしたが、家族でもしものときにはどうするかを頭の片隅に考えるきっかけを間違いなくもらうことができると思います。

 

最期まで明るいお別れを家族も御本人も望んでいらっしゃったというのが心に残りましたが、家族の仲が本当によくなければできないことで、ご家族皆様が家族を思いやる素晴らしい関係だったからこその選択だったのでしょう。

 

この女性の罹った子宮頸がんはHPVワクチンで予防することが可能です。

 

blog.sapico.net

 

子供は9価のHPVワクチン1回目を接種済みで近々2回目の接種予定。

 

HPVワクチン接種についてを考えるきっかけにもなってくれたらと思うさぴこなのでした。

 

それでは!