みんなたのしくすごせたら

アラフィフさぴこのなんでもない毎日の暮らしの雑記帳


産後うつは甘えじゃない

子育てママたちからのSOS ~産後うつで死なせない!  ひとりひとりに寄り添う地域サロンの挑戦~

 

産後うつは甘えだというツイートをされた方がいるというニュースを見ました。

 

news.livedoor.com

 

怒りというよりただただ悲しい。

 

あの辛く悲しい時期を甘えと言われたら、今でも悲しいです。

 

私がまだこのブログを始めたばかりの頃に書いたエントリー。

 

blog.sapico.net

 

このブログを始めたのも産後に起こった色々な不条理な出来事を書き綴って、自分の中で整理しようと思ったからでした。

 

今は本当にただ日々の日記のような主婦の毎日の徒然を書き留めるだけになってしまっていますけど。

 

昔は自分と同じように産後に辛い思いをされている方々の力になれるようなことはないだろうかと色々考えたのですが、結局実行できていないままです。

 

産後うつを経験したことのない人にはわからない

 

産後うつと言っても人それぞれ色々な環境によってその状況は異なるかと思いますが、一つだけ共通しているのは産後うつを患っている間は本当に辛いということ。

 

産後誰も助けてもらえない環境で辛い人は周りでサポートを受けながら育児をしている人を見るのも辛くなったり、過剰な干渉とサポートで育児が辛くなっている人は子供と2人になりたいと思ったり、本当に様々なんです。

 

身体の調子だけでなく母親になったことによる理想と現実のギャップ、そして何より睡眠不足や子供が自分のせいで命を落とすのではないかという緊張感で24時間フル活動をしている乳児期は真面目に育児をされている人ほど本当に辛く感じます。

 

力を抜いて、リラックスして、他の人に相談して、と言われても本当にその時はもう無理なんですよ。

 

今考えればもっと色々できたと思うことはあるのですが、睡眠不足で頭が働かずに子供の泣き声と格闘している時にはそんな余裕はありませんでした。

 

産後の辛さは人それぞれ

 

産後とひとことで言ってもそれぞれみんな形が違います。

 

乳幼児期に全く手がかからない子もいれば、想像を絶するくらい手のかかる子もいますから。

 

実家のサポートがある場合とない場合でも大きく異なりますし、夫のサポートがあるかないかでも違いますね。

 

そして全く手のかからない子で実家のサポートもあって育児に対する夫の理解があったとしても、それまでとの環境の変化に心身がついていけないというケースもあります。

 

本当に辛いのに甘えだと言われてしまう。

 

それは毎日育児を頑張っている母親に対する侮辱です。

 

一度産後うつを経験すると元に戻れない

 

私は予約がなかなか取れなかったので病院にかかることはありませんでしたが、間違いなく産後うつでした。

 

産後うつからすでに10年以上経過していても、私は産後うつになる前の自分と同じような考え方には戻れなくなっています。

 

私にとっての産後うつの薬は美味しいものとお日様の光と子供との散歩、そして睡眠でした。

 

そして子供がある程度成長したことによって症状は消失しましたが、メンタルの不調の波がまだどこかに残っているような感じで、あの頃と同じ急に不安を感じるようなことが本当にたまにですけどあるんですね。

 

喉の奥に鉛を飲み込んだような感じというか。

 

多分寛解はしているけど10年以上経っても完治はしていないのだろうなと感じることもあります。

 

メンタル的に不安定になったら美味しいものを食べたり、外に出てお日様からパワーをもらったり、運動をして発散させたり、ゆっくり休んだりするようには心がけていますよ。

 

それでも不安に押しつぶされそうになることはありますが、ブログを書き始めてからはほとんどなくなったかもしれません。

 

自分の考えを整理する、それが私にとってのストレス解消なのかも。

 

いろんなひとがいる

 

最近思うのが自分の考え以外に不寛容なひとが増えたなということ。

 

自分がそうだったから第三者もそうでなければならないとか。

 

自分はこうなのに第三者はちがつのは許せないとか。

 

自分の考えと異なることは第三者が希望しても受け入れられないとか。

 

航空機でマスク着用を拒否された方のニュースもありましたが、あれも単純にマスク着用を拒否したというよりも、マスク着用しないままに大声で話したり客室乗務員の方や周りの乗客が迷惑だと感じる状況下でも自分の考えを押し通そうとされていたように思います。

 

自分と全く同じ考えの人しか世の中にいなかったら、それはそれで議論する必要もなければ会話をする必要すらないかもしれません。

 

どんなに気の合う仲のいい友達だって自分と全く同じ考えというわけには行きませんよね。

 

いろんな考えの人がいるからこそできることもあるし、できないこともある。

 

だとしたらお互いに納得できる妥協点を見つけていくことが人間関係だなというのが私の持論なんですが、これも賛否両論あるかも。

 

例えばマスクがどうしてもできない持病のある方が公共交通機関を利用したいという場合、今のご時世マスクなしの方が近くにいるだけで不安を感じる方もいらっしゃるわけですから、まず公共交通機関に相談をして対応を仰ぐことによってお互い嫌な気持ちを感じずにすむんじゃないかな、とか。

 

もう少し、自分以外の人のことも考えられる世の中になってほしいと思います。

 

おわりに

 

久しぶりに産後の辛かった時期のことを思い出してしまいました。

 

遠い昔のことのような気もするのですが、やっぱり胸の奥でザワザワしたものを感じてしまうのはまだどこかで引きずっているのかなと。

 

そのザワザワで不快になるわけでもないのですが、改めて一度受けた心の傷が完全に治るのには自分が思った以上に時間がかかるのだと実感します。

 

だからこそ、自分が他の人に心の傷をつけてしまうような言動はしたくないと強く思うようになったのかもしれません。

 

受けとめる能力と受け流す能力、必要ですね。

 

それでは!!