みんなたのしくすごせたら

さぴこの徒然草紙というか雑記帳

いじめをなくすために小学校の道徳の時間で今本当にするべきことはなんだろう

わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)

 

今日はちょっとだけ真面目なお話です。

 

先日、仙台の小学校へ通っていた小学2年生の子供とその母親が子供へのいじめを苦に無理心中をしたという悲しいニュースを見ました。

 

小学2年生という年齢でしにたいと思うほどのいじめというのはどういうものなのか、その子供の心の傷はどのくらいのものだったのかと思うと胸が締め付けられます。

 

いじめをきっかけに教科化をされた道徳ですが、はたして道徳の授業で本当にいじめをなくすることができるのでしょうか。

 

教科書からでなくリアルから学ぶということ

 

子供の道徳の教科書を見て感じることでもありますが、どうしても国語の物語を読んでいるというか、リアルではないというか、その時は正解のようなものを導きだしてはいても実際に子供たちが送る学校生活の中とリンクしていないような気がします。

 

ああ、これが正解なのだろうなと意図的に導かせているという雰囲気があるというか。

 

お互いを尊重しましょう的な押し付けのようなものを感じさせるものもあったり。

 

そしてどこかきれいごとだったりと感じてしまうのは、さぴこがもう子供の心を持っていないからなのかもしれませんけど。

 

でもいじめに関しては、実際に起こった不幸な出来事について2度と同じようなことが起こらないように、子供たちにいじめによって実際にどのような不幸なことが起こったのかを正しく認識してもらうことの方が道徳の教科書の何倍も抑止力が働くのではないかと思うのです。

 

自分が人の命を奪うことになるかもしれないということ

 

子供同士のいじめというのはちょっとした出来事が元になることがほとんどです。

 

そして低学年になればなるほどいじめたことによって起こることについての想像力が乏しいという現実があります。

 

今回の仙台の事件は小学1年生の頃からいじめが始まっていたということですが、正直小学1年生の子供が陰湿ないじめをするという状況を理解できる大人は少ないのではないでしょうか。

 

そしていじめをしたとされた子供はきっとそこまでのことをした自覚はないのです。

 

ただ気に食わないから仲間はずれにしたとか、そんなことから始まっているのでしょう。

 

でも自分がした行為によって相手の命を奪う結果になってしまうことだってあるのだということを、実際の出来事をきちんと子供に伝えるべきではないのでしょうか。

 

小学生だからといってオブラートに包んだような表現ではなく、いじめというのはナイフを持って人を襲う殺人者と同じような行為であるということを、きちんと子供たちが自覚できるような教育が必要なのだと思います。

 

 

 

わたしのせいじゃない?

 

今回の仙台の事件ではいじめられた当事者以外の全員が「わたしのせいじゃない」といっているような気がしてなりませんでした。

 

少々重いテーマなので小学校高学年向けになるかと思いますがこんな本があります。

 

わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)

わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)

  • 作者: レイフクリスチャンソン,ディックステンベリ,二文字理明
  • 出版社/メーカー: 岩崎書店
  • 発売日: 1996/01/10
  • メディア: 単行本
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責任というものについての本ではありますが、「自分のせいじゃない。自分は何もしていない」という考えから生まれる不幸な出来事について書かれています。

 

日本ではこういった作品をなかなか見ることができませんね。

 

そしてこの本には「じゃあどうしたらよいのか」ということは一切書かれていません。

 

これが道徳の教科書とは違うところで、最適解を誘導するものではないということです。

 

ただ意味もなく恐怖を感じるというだけでもいいのでしょうし、その方が心に残るのではないでしょうか。

 

こうすればいいね、めでたしめでたしで済むようなものだったらだれも心に残ることはないかもしれません。

 

教科書を使う方が簡単だから?

 

小学校では今年度道徳が教科となり、来年度からは中学校でも同じように道徳が教科化されます。

 

教科書があるということは先生方は教室の中では教科書に沿った指導をしなければなりませんよね。

 

道徳の教科を授業参観で実際に見た際に先生の授業の進め方にはなにも問題はありませんでしたが、これで本当に子供たちにとっての本当の道徳の授業になっているのだろうかという疑問もありました。

 

これなら教科書を使わずに、実際にハンディキャップのある方がどんな苦労をして日々を送っているかを学習するとか、自分の身体が不自由になった時にどんな苦労があり、どんな助けがありがたいのかなどを実際に体験したほうがよっぽど子供たちの心に残るのではないのかしらと。

 

たとえば今回の仙台のいじめ事件について、子供たちにいじめによって命を奪う結果になってしまうこともあるということ、そしてそれをただ見ていたまわりの人も同じであるということを、実際にあったことということで子供たちに考えさせるような授業を行うことはできないのかと思ってしまいます。

 

少なくてもさぴこが知っている子供たちは、こういった実際に起こった事件に対してとても真摯に受け止めるだろうと思うのですけれども。

 

ただこういったことを授業に生かしていける先生が今どのくらいいらっしゃるのか、という問題もあるのかもしれません。

 

正直子供の通っている小学校でも先生の質に非常に大きな幅を感じます。

 

子供がかよう小学校でも熱心で子供たちのことを考えて寄り添ってくださるような先生もいらっしゃいますが残念ながらそうでない先生も多く、振れ幅が大きいなという印象を受けました。

 

良い先生に当たったクラスはいいですが、そうでないクラスは学級崩壊ということも目の当たりにしましたし。

 

道徳を教科化する前にもっとやるべきことがあったのでは、と思うこともあります。

 

おわりに

 

数年前に知人の子供がいじめを苦にそれまで住んでいた家を売却して転校するという道を選びました。

 

当時のその親子の苦悩を見ていたので、自分の子供も小学校でいじめられるまたはいじめる立場になってしまったらどうしようと心配したこともあります。

 

もしかしたらこれからいじめられることはもしかしたらあるかもしれませんけど、いじめることは絶対にないと言える子供に育ってくれました。

 

今回の仙台のいじめについても子供と話をしましたが、もしいじめられる側になってしまって学校がいやになったら行く必要はない、と改めて子供には伝えています。

 

でも子供は学校は楽しいしみんなに会えない方が辛いから行くと思うと答えているので、今のところは大丈夫かな。

 

一番大切なのはいのちで、それよりも大切なものはないということをこれからも伝えていきたいと思っています。

 

ちょっと真面目な記事になっちゃいましたけど、たまにはこんな日もあってもいいかな?

 

それでは!!