みんなたのしくすごせたら

アラフィフさぴこのなんでもない毎日の暮らしの雑記帳


小学校6年間で一番薄かった作品アルバムを見て涙がでました

小学校の生活

 

子供の登校日も卒業式を除くとあと1日になりました。

 

今日は学校からこの1年の作品を閉じた作品アルバムを持ち帰ってきたのですが、そのまま子供は外出してしまったのでひとりでじっくり見ることに。

 

作品アルバムには図工で書いた絵や子供が書いた掲示物、作文や書道の時間に書いた作品などがまとめられています。

 

いつもなら参観日に見ることができていたもの

 

これらの作品類はいつもであれば参観日の日に掲示してあって見ることができるはずのものでした。

 

この1年は教室での参観が一度もなかったため、6年生になってからの作品を見るのは今日が初めてです。

 

なんだかこの1年間のことがいろいろと思い出されてしまって、ひとりで泣いてしまいました。

 

卒業式でもないのにとは思うのですが、子供達のこの1年間のことを考えるとどうしても涙が止まらなかったのです。

 

毎年この時期に持ち帰ってきた作品アルバムの半分くらいの厚さしかないという、この現実がコロナが子供達から奪った時間なのだと思うと、やり場のない怒りというか悲しみといいますかなんともいえないこみ上げてくるものがありました。

 

6年間の集大成であるはずの最終学年。

 

それがこんな形になってしまうなんて。

 

小学5年生の頃には自分たちも最終学年ではあんなふうにと思っていたことがことごとくできなくなってしまった子供達の1年、それがこの作品アルバムの薄さになってしまったような気がしてしまいました。

 

子供達にとって、もう次の小学校生活はないのですから。

 

やり残したことがたくさんあっても、もうやり直すことはできません。

 

その現実をこの作品アルバムによって思い知らされたような気がします。

 

子供の気持ち

 

当たり前ではありますが、中の作品は昨年の夏以降のものばかりです。

 

その中に夏休み明けに描かれたと思われる1枚の絵がありました。

 

お祭りや花火が描かれているその絵のタイトルには来年は夏祭りにいきたいなと書かれています。

 

学校に行けるようになったものの、長期休校のために夏休みがたった9日間しかなかった夏。

 

ああ、それでも子供はちゃんと前を向いているんだなと思いました。

 

お友達と浴衣をきてお祭りの会場を歩く姿を描いた絵を見て、また泣けてしまいましたよ。

 

できるものならもう一度6年生をやらせてあげたかった

 

6年生の最初の仕事である1年生のお世話も、遠足も運動会も夏休みも、みんなが楽しみにしていた小学校のお祭りも学習発表会も、クリスマス集会も在校生からの6年生を送る会もなにもなくなってしまった子供達。

 

6年間という長い間、先輩達の姿を見て自分たちも6年生になったらと思ってきたこともたくさんあったことでしょう。

 

できるものなら、6年生のやり直しをさせてあげたい。

 

親としては当たり前の環境で過ごさせてあげたかった1年間。

 

そんなことを考える大人達を尻目に、子供達はみんな成長して今の状況を受け入れているように見えるところがまた泣けるのですよ。

 

みんなが大変だったこの1年間。

 

いままでできていたことはみんなもできなくなっているのだから仕方がない。

 

たしかにそうなんです。

 

そういえば子供のクラスはこのコロナでクラスの結束が深まったように感じます。

 

残り少ない日々をどうやって楽しく過ごすか、子供から学校での話を聞くたびにみんながそう思っていたのだろうなと感じていました。

 

来週は月曜日に最後の給食、そして火曜日が卒業式。

 

卒業式は子供達の成長を目に焼き付けてこようと思います。

 

おわりに

 

子供の前では出せないこの感情を、このブログの中でだけでも吐き出させてもらいました。

 

困難は人間を成長させるきっかけとなるという言葉の通り、たしかに子供達は自分達の状況を受け入れて乗り越えていったように思います。

 

それにしてもこの1年は諦めなければならないことが多すぎて、今年が節目の年となった学年は本当に気の毒でなりません。

 

でもそんな感情も今日でおしまい。

 

卒業式は新しい門出を祝うお祝いの日として、過去ではなく未来を考えていきたいと思います。

 

それでは!!