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アラフィフさぴこのなんでもない毎日の暮らしの雑記帳


暴力教師と暴言市長の似たようなケースにアンガーマネージメントの必要性を再確認した話

アンガーマネジメント入門 (朝日文庫)

 

最近メディアで頻繁に見ることが多くなったパワハラのニュース。

 

つい先日生徒が教師に対して暴言を繰り返し、それに切れた教師が生徒を殴っている様子が部分的にカットされてSNSにアップされていて、後日実は生徒が教師を煽っていたという事件がありました。

 

そして今回は明石市長が市職員に対してパワハラとも取れる暴言を言ったという内容を録音したものが公開され、ニュースやワイドショーなどでは繰り返し報道されています。

 

この2つのニュース、多くの共通点を感じるのはさぴこだけでしょうか。

 

最初にお断りしておきますがこれから書くことはあくまでもさぴこ個人の考えで、これが正しいということを訴えているわけではありません。

 

こんな考え方をしている人もいるのね、と認識していただければと思います。

 

しかもまったく面白くない話なのに無駄に長文になってしまったので、目次をつけておきますね。

 

 

暴力も暴言も絶対に許してはいけない

 

今回のこの2つのニュース、まず大前提としてどんな理由があったにせよ暴力も暴言も許されるものではありません。

 

自分がどんなに侮辱されたとしても暴力を正当化する理由にはなりませんし、状況を改善するためにどうしても理解をしてもらわなければならないことを理解してもらえなかったとしても暴言は許されないのです。

 

まずこの点の認識を再確認した上で、暴力教師と暴言市長というこの2つのニュースについてさぴこが感じたことを書いていきます。

 

暴力教師と生徒の関係

 

SNSに拡散された教師が生徒を殴っている動画は衝撃的でした。

 

動画という形になると、文字情報で「教師が生徒を殴った」という同じ内容であっても受ける印象は非常に異なる結果となります。

 

教師が生徒に暴力を振るっているという部分だけを切り出した動画を見れば、おそらく100%の人が教師の行動について激しく批判をすることでしょう。

 

でもその後、実は殴られた被害者であるはずの生徒が教師に向かい暴言を繰り返していたということとが明らかになり、そもそもこの動画が取られた経緯が教師を陥れるためだったのではという声が上がりました。

 

それまで100%教師を非難していた人たちもその事情を知り、生徒側が悪質であり教師は悪くないのではないかと思い始める人が増えてきたのです。

 

でもここで間違ってはいけないのはどんな事情があっても教師が生徒を殴ってしまったという事実は変わらないということ。

 

じゃあなぜ教師は生徒を殴らなければならない状況になってしまったのかということを考えるべきなのではないでしょうか。

 

ではもし教師の指導が受け入れられない生徒がいた場合はどうするべきだったのでしょう。

 

教師は懲戒という選択肢を持っている

 

日本の学校教育法では教育上必要があると認められる場合のみ、学生・生徒・児童に懲戒を加えることができると定められています。

 

第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。

 

じゃあどんなときが教育上必要があるときなのかというとこちらもちゃんと学校教育法施行規則第26条に記載がありました。

 

  1. 性行不良で改善の見込みがないと認められる者
  2. 学力劣等で成業の見込みがないと認められる者
  3. 正当の理由がなくて出席常でない者
  4. 学校の秩序を乱し、その他学生又は生徒としての本分に反した者

 

ちなみに平成13年の学校教育法改正時には「性行不良」の例として、

 

「他の児童生徒に傷害,心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為」「職員に傷害又は心身の苦痛を与える行為」「施設又は設備を損壊する行為」「授業その他の教育活動の実施を妨げる行為」を「一又は二以上を繰り返し行う」

 

ということが示されています。

 

今回のケースでは「職員に傷害又は心身の苦痛を与える行為」「授業その他の教育活動の実施を妨げる行為」があてはまりますから、注意をしても繰り返していたこの生徒は懲戒の対象(退学)の対象にもなると解釈できますね。

 

とはいえ懲戒の中でも一番重い退学と言う処分はあくまでも最終的に選択されるべき処分であり、じゃあ最終的ってどんな時なの?という疑問も出てくるかもしれませんけど。

 

進歩しない学校教育

 

さぴこが小学校から高校生になるまではまだ昭和の教育方針が色濃く残る時代でしたので、体罰も普通にありましたし今では子供の人権を尊重されていないと取られる行動も当たり前のように行われており、当時教師は「聖職者」として保護者からも敬われる絶対的な存在でした。

 

いつのまにか教師の立場が変化し、それまでは弱い立場であった子供たちや保護者との中立的な立場を通り越した逆転現象が起こってしまい、教師という存在の立場が弱くなってしまったことが、今回のような事件の原因の1つになったのかもしれません。

 

でも昭和時代の教育方針がよかったと言っているわけではありませんよ。

 

本来は教育という場で教育するものと教育されるものが同じ立場で同じものを目指さなければいけないはずなのに、そのバランスが崩れていることが問題だと思うのです。

 

昭和の時代は問題を大ごとにせずに教師が勝手な解釈で体罰という懲罰を与えて済ませてきたことが、体罰はいけないという当たり前の大前提が浸透したときにじゃあどうやって精神的にまだ未熟な子供を指導していったらいいのかと迷走し始めた頃、この逆転現象が起きた気がします。

 

 時代はこんなに変化しているのに学校が変化していない、このギャップなのかなと。

 

子供や保護者が権利を主張するのであれば学校側は教育を受けるものには義務もあるということを認識してもらう必要があるというのに、それを行っていないのが力関係のバランスが崩れてしまった一番の原因でしょう。

 

子供が学校で問題行動を起こした場合、懲戒の対象になる可能性があるということを保護者にも子供にもきちんと認識させることができれば、今回のような暴力ケースは減るのではないでしょうかね。

 

では暴言の方はどうでしょうか?

 

明石市長が暴言を吐いた理由

 

初めに明石市長が「火をつけてこい」なんていう暴言を吐いたというニュースを見た時、一体なんていうひどい市長がいるのだろうと思いました。

 

暴力教師の動画時と同じで、文字だけでない激高する市長の過激な音声パワーによってその印象がより強くなっていたのです。

 

文字よりも実際の肉声といのはインパクトが強い!

 

その部分だけを切り取って聞けばどう聞いても悪質なパワハラにしか感じられない状況でしたから。

 

その後少しづつその暴言に至る経緯が報道され始めます。

 

市内の道路が狭い場所で死亡事故が起こり、これ以上犠牲者を増やさないためにも早急に道路を拡張する必要があったのにも関わらず、市役所の担当者が7年もその状態を放置していたことを知った市長の怒りが頂点に達して暴言を吐いてしまった、ということでした。

 

市民の安全な生活のために早く行動するべきだという、市長の正義感でしょうか。

 

火をつける云々のくだりは拡張工事のための用地買収が長期間進んでいないことに対して迅速に行動を起こさなくてどうするのだという内容を頭に血が上った状態で考えられないような過激な言葉が飛び出てしまったというところでしょうか。

 

本来すでに工事が完了しているはずの時期を過ぎても用地買収すら進んでいなかった、という事実がこの市長には受け入れ難かったのでしょうね。

 

だからといってパワハラや数々の暴言が正当化されるわけではないのですけれども、その発言に至った心情はなんとなく理解をすることができます。

 

それだけ熱心に問題を迅速に解決したいという強い気持ちを持っていらっしゃる方だったのだな、という印象をうけました。

 

ちなみにこの録音された音声は約2年近く前のものであり、この市長の暴言がどう影響したのかはわかりませんがその後問題となった場所の立ち退き交渉がまとまり、来年度末には工事が完了するそうです。

 

それにしてもなんのために録音を保存し、2年後のこのタイミングで公開する必要があったのかということには理解に苦しみます。

 

もしパワハラを受けたとされる該当の職員がこの対応は不当であるということで公開したのであれば、すぐに問題となっているはずですからね。

 

このタイミングで公表することにより利害関係が発生する人物がいたのではという邪推をしてしまってもしかたがありません。

 

暴力教師と暴言市長はすでに社会的制裁を受けている

 

まずこのお二人のされた行為については許されるべきものではないということを前提に考えても、このお二人はすでに十分な社会的制裁を受けているのではないでしょうか。

 

お二人に共通して見えてくる共通点は正義感が強くてとても人間的であるということです。

 

面倒なことから逃げようと思えばいくらでもできるのに、状況を改善したいという正義感から起こった行動がエスカレートして問題になってしまった、とう感じ。

 

自己保身を優先して自分の不利になるようなことに無関心な人よりもこういった正義感のある方の方がリーダーの資質として魅力的だったりします。

 

それぞれ教師をやめるべき、市長を辞任すべきという声もあるようですが、今回の行為についてお二人とも深く反省をされていらっしゃるようですので、すでに社会的制裁を受けていらっしゃいますから2度と同じことを繰り返さないということで、今後お二人により成長して活躍していただいた方がよいのではないでしょうかね。

 

一度でもこういった過ちを犯してしまった人物を許すことはできない、というのもまた1つの正義なのかもしれませんけど。

 

でも過ちを認めて反省している人物をずっと批判し続けるのは正義に反する結果にならないでしょうかね。

 

アンガーマネージメントの必要性

 

この2つのニュースに共通して感じたのがアンガーマネージメントの重要性です。

 

人間ですから怒りで頭に血が上ることって誰にでもあると思います。

 

できるだけ怒らない子育てをしたい、なんて思っていたさぴこだって子供に何度大声をあげて怒ったかわかりませんよ。

 

そしてこの怒るという行為は思った以上に本当にパワーを使うのですよね。

 

おそらく自分自身の身体にもよくないだろうな、と思いつつ怒ることもしばしばあります。

 

もし今回のこのお二人がアンガーマネージメントを意識し、怒りの感情をコントロール術を持っていたのならばきっとまた違う方向に進んでいたはず。

 

でも怒りのコントロールってたくさん書籍はでていますけど、理屈は解ったとしてもそれを無意識レベルで実行するのはなかなか難しいのです。

 

怒りというパワーで熱くなる人って、実は相手に対して一生懸命だからこそ怒っているということが多いですからね。

 

しょせん他人事だと思えば熱は一瞬で冷めて怒る気もなくなりますから。

 

でも少なくともプチッと切れない、ギリギリのラインを死守できるようなアンガーマネージメントは必要ですね。

 

怒りは6秒間で抑えられるという話を聞くので、さぴこも気をつけなければ…。

 

不特定多数に向けて匿名で情報を公開するということ

 

いい意味でも悪い意味でも、ネット環境がこれほど普及した今は個人がすべてをオープンにすることができる時代です。

 

SNSでもブログでもYouTubeでも、個人が不特定多数に自由に情報を発信できる時代ではありますが、自分に不利益なことがあってそれを誰かに伝えたいと思った際、手っ取り早くSNSなどで不特定多数に発信する行為には疑問があります。

 

まず自分が不利益になることがあるのであればまず当事者間で解決するべきことであり、それでも進展しない場合は公の場で判断を仰ぐというというのであれば理解できるのですが、その場合でもまず訴える側が匿名ではなくどういう立場の人間であるかを明かすべきでしょう。

 

教師から暴行をうけた高校生についてはすでに特定されてその個人情報もまたSNSで拡散されているようですが、今回の市長の2年前の発言をこのタイミングで公表した人物もいつか特定されるのでしょうか。

 

SNSのトラブルは早いと小学生から発生していますから、ネット利用を利用させる前に保護者が便利である反面危険もあるということをちゃんと子供の心に深く残るように指導する必要なありますね。

 

子供が理解しようとしない場合、ネット環境を取り上げる勇気も親には必要かなと思います。

 

おわり

 

すっかり長くなってしまいましたがこの話結論を1行でいうと、

 

自分を制御できなくなるほど怒りすぎないように気をつけましょう

 

ですね。

 

さぴこの場合、自分に余裕がなくなると怒りっぽくなってしまうので特に気をつけたいと思います。

 

そして最後までお読みいただきました方へ。

 

今日は長々とオチのないお話にお付き合いいただきありがとうございました!

 

それでは!!