先日の夜、子供が怖くて眠れないといって私のところへきました。
どうしたの?と聞いたら、小学校2年生の子供はこういいました。
「ママ絶対死なないって約束して。ずっと生きて。ずっとそばにいて。」
いまのところ、自分としては死ぬ予定はないさぴこでしたが、ずっと生きることはちょっと難しそうです。
まず子供とゆっくり話をすることにしました。
子供に現れた死生観の変化
これまで死というものに対して、客観的な認識は持っていたはずの子供。
自分の祖父は亡くなっていてもう会えないということや、一緒に暮らした犬達とももう遊ぶことができなくなってしまったということは頭ではわかっているはずでした。
この日の少し前にも、学校に行く前にテレビで入っていた保険のCMを見て、地震がきたら金魚が水から飛び出て死んでしまうかもしれないと心配していたのです。
多分、金魚を飼いはじめた時に金魚鉢から1匹飛び出して、死んでしまった金魚のお墓を作ったあたりから、すこしづつ変化していたように思います。
地震の話の時は、備えあれば憂いなしだからなにかあっても大丈夫なように準備をしておこう、という話をして終わったのですが、彼女の中ではきっと金魚がいなくなってしまったその時から、死という物への恐怖が少しづつ芽生えはじめていたのでしょう。
眠れない夜は成長の証
この日の夜、子供の成長を感じつつもどう話をするのが一番いいのか少し迷いました。
まあ、「ママは死なないから大丈夫だから、もう寝なさい」という言葉で済ますことも可能ですが、もしその後に寝ようとしたとしてもそんな言葉でもう子供は納得できないだろうと思ったのです。
そして自分自身、父親を亡くした時のその心の痛みを今も忘れることは出来ずにいるからこそ、子供がどれだけ今恐怖を感じているかもわかります。
本当に自分の子供がこれだけ成長したのだということを知って嬉しくなり、そして同時に自分の手から離れていくようで少しだけ悲しくなってしまいました。
これから子供はこんな風にいろんなことに悩み、考え、眠れない夜を過ごす日も増えていくのでしょう。
生と死を子供にどう伝えるか
とはいえまだ小学2年生。
小難しいことを話してもまだ理解は難しい年齢です。
それにおそらく死を正しく理解できるようになるのは、まだまだ先のことなのだと思います。
死を理解するためには生きることも理解しなければなりませんから。
では小学2年生の我が子にどうやって死生観を伝えていくべきなのか考え、その日の夜は子供を抱きしめてこう伝えました。
「ママが生きてる間は一緒にいるから大丈夫だよ。それに死なないように頑張るから。」
少しの間沈黙していましたが、その後わかったといって布団に入り、数分後には眠っていたようです。
その日はそのまま朝まで起きることはありませんでした。
子供の死生観の発達を考える
その後、子供が死の恐怖についてを話してくることはありませんでしたが、きっと死というものが自分にも起こりうることなのだということを感じ始めているはずです。
こればかりは自分の力で乗り越えていくしかないのですが、親として生と死を学ぶための手助けをしてやることはできます。
そこで寝る前、久しぶりに子供のために2冊の絵本を読みました。
どちらも以前、子供に読んだことのあるものばかりです。
100万回生きたねこ
佐野洋子さんの名作、「100万回生きたねこ」です。
これまで、もう何度読んだかわかりません。
子供にとっての死生観というものは、大人が言葉で説明しようとしてもなかなか理解しがたいものだと思いますが、子供なりの感性で感じ取ることはできると思っています。
この「100万回生きたねこ」は佐野洋子さんの死生観の表現であるようでいて、読み手それぞれの死生観を思い描くことができる、素晴らしい絵本です。
読んで感じる内容はきっと年齢によってどんどん変わっていくでしょう。
そして、成長した時に思い出してくれたら、そう思うのです。
くまとやまねこ
湯本 香樹実さん作、酒井 駒子さん絵の「くまとやまねこ」。
なかよしのことりがしんでしまった、という内容から始まるこの絵本。
親友であることりを失ったくまの悲しみの描写が切ないのですが、そのくま少しづつことりの死を受け入れていく様が、穏やかで美しい絵によって描かれています。
死という避けがたい辛く悲しい事柄の中にある生について、くまが死を受け入れていく様の中に感じることができるのです。
ひらがなで書かれているので子供向けの絵本のはずではありますが、読んでいていつも大人へ向けられたメッセージを感じずにはいられません。
子供に感想は聞かない
本を読み終わった後、感想は聞きませんでした。
そして本を私から受け取ると、明日自分でも読んでみるといって机の上に置きました。
どう思ったのか、何を考えたのかはわかりません。
でも、くまとやまねこには強く何かを感じたようで、次の日ジッと声を出さずに1人で読んでいました。
死生観を伝えるための絵本
絵本というものはたくさんの学びを与えてくれます。
うちの子供に「そんなことをどこで知ったの?」というと、「絵本で見た」ということがたくさんありますが、字も勉強していない小さなころから、いろいろなことを学ぶことができるのです。
きっと勉強として物事を覚えるのではなく、絵本という物語の中で、自分の興味を持ったものをどんどん吸収していけるのでしょう。
読み聞かせボランティア仲間ともよく話をするのですが、絵本は学校で勉強をすることをでは学べない、生き方や考え方の土台を作ってくれる力があると思います。
死というとネガティブで、なんとなく忌み嫌うイメージがあり、なかなか家族で話をする中で子供に伝えるのは難しいことですが、絵本を読むことによってお仕着せではない、自分の考えとして伝えることができるのではないでしょうか。
上の2冊以外にも、死と生についてを子供に伝えたいときに選びたい絵本がありますのでいくつかご紹介したいと思います。
わすれられないおくりもの
小学校3年生の教科書に掲載されているという「わすれられないおくりもの」。
身近にいる友の死をきっかけに、残された者達が友を失った悲しみの日々のなかで友の死というものを受け入れていき、悲しみがだんだんと楽しかった友との思い出へと変わっていくという、とても感動的な絵本です。
子供向けではありますが、昔子供だった大人のための絵本のような気がします。
わたしもアナグマのように子供にたくさんのことを残していきたい、そして私がいなくなった後も私とのたくさんの楽しかった思い出を思い出してほしいと願ってしまいました。
このあとどうしちゃおう
楽しい絵本がたくさんのヨシタケシンスケさんの絵本。
この本は子供がとても気に入った本です。
おじいちゃんが自分が死んでしまった後にどうなるのか、どうなりたいのかを書いたノートを発見したというお話なのですが、死という言葉につきまとう暗いイメージはありません。
そして死んじゃった後のことを考えようとすると、今やりたいことがいっぱいあるのに気がつくというところがとても素晴らしいです。
子供がとても自然に死ぬことと生きることの関係性を感じることができます。
ヨシタケシンスケさんの本はどれも面白くて子供に人気があり、私も大好きなのですが、ちょっと読み聞かせには向かないので、自分で本を読めるようになったくらいのお子さんにちょうどいいかもしれません。
ずーっとずっとだいすきだよ
こちらも国語の教科書に掲載されています。
愛犬のエルフィーとの別れと、気持ちを伝えるということの大切さを教えてくれる物語。
きっとペットを飼ったことのある人にはとても共感できる絵本だと思います。
葉っぱのフレディ
これは完全に大人向けですね。
私も大人になってから自分の為に購入した絵本です。
ちょうど父が亡くなった頃でした。
ただこの本は死を許容してしまうような内容になっている部分もありますので、賛否があるかと思います。
どちらかというと死生観を伝えるためというよりは、すでに身内の死を前にそれを受け入れられない時などに読むべきなのかもしれません。
- 作者: レオバスカーリア,Leo Buscaglia,みらいなな
- 出版社/メーカー: 童話屋
- 発売日: 1998/10/01
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母親向けの絵本「ママがおばけになっちゃった」
ブログの一番上に貼付けたのは「ママがおばけになっちゃった」。
人気のある絵本ですが、この本は子供ではなく大人が読む絵本だと思っています。
なので私自身は子供に読んだことはありませんが、子供は書店で読んでいました。
子供が欲しいとはいいませんでしたのでうちにはありません。
この本に関しては賛否両論あるかと思いますが、読者を選ぶ絵本であることは間違いがないと思います。
この本は私が読み聞かせボランティアで読むことはないでしょう。
もし、母を亡くした子供がその場にいたらと考えると難しいです。
この本はお母さんのための本であって、子供のための本ではないかな、というのが私の感想でした。
子供に命についてを教えるということ
これから何らかの形で、うちの子供も死や命に関することを考えるきっかけになるような出来事が起こることでしょう。
死という悲しい出来事を乗り越える力をつけるためには、やはりどうやって生きていくのかというのが重要です。
今回は子供に生と死について考える機会をもらいました。
私も後悔しない生き方ができるよう、そしてそんな生き方を子供に見せてあげられるようになりたいと思います。