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アラフィフさぴこのなんでもない毎日の暮らしの雑記帳


職場復帰と保育園入園

Levenhall Nursery


しばらく放置状態になっていた私の出産、育休、職場復帰と兼業主婦生活についての記事。ブログを続けていく中で自分の考えがスッキリしてきたこともあり、今の自分に関する内容が多くなっていました。辛いことが多かった当時の事を思い出すとどうしても暗い話になってしまうので、なんだか無意識に避けていたような気がします。

 

ゆっくりとしたペースになってしまいそうですが、この話についてはブログの中でいつか完結させたいなと思っていますので、よろしければお付き合いいただけると嬉しいです。

 

育休からの職場復帰

 

子供が1歳になったとき、保育園の入園許可が下りたので職場復帰をすることになりました。

 

冬目前の、新型インフルエンザが猛威を振るい始めていた当時、保育園の入園を4月からに変更し、入園までは時短勤務で私の母に子供を見てもらうことに決めたのです。

 

育児休暇が終了してからは本当に気を失うんじゃないかというくらい忙しい日々が続きました。

 

息をつく暇もない日々(保育園入園前)

 

当時の一日を振り返ってみます。

 

12月から4月までの保育園入園前

  • 起きたらすぐに朝食、子供と母の昼食とお弁当の用意と自分の身支度
  • 子供の世話(おむつ、朝食、着替え等)
  • 出勤
  • 昼休みは自宅に帰り子供の世話(昼食等)。自宅滞在約25分
  • 午後4時退社、自宅に戻り母と交代し、子供の世話や掃除をする
  • 子供にEテレを見せつつ夕食の支度をし夕食
  • 夕食後のあとかたづけが終わったら子供とお風呂
  • 寝かしつけの後洗濯をしながら会社からのメールチェック
  • 明日の朝食と昼食の簡単な準備後に就寝

 

こうやって書き出すとそんなに大変じゃなく見えますね。小児科への通院などが加わると夕食の支度をする時間もなくなったりしてだんだん時間が無くなってくるんです。しかもこのころは寝かしつけに時間がかかって大変でした。あと子供は卵アレルギーだったので、食事の支度も普通よりは大変だったかな。

 

母に子供の面倒を見てもらってはいましたが、基本的に本当に見ているだけという感じで、昼に帰るといつも母がはまっている韓流ドラマのDVDを見ていました。子供のおむつも私が朝取りかえたまま、朝使った食器もそのまま台所にあるという感じ。なので一般的に母親に育児を手伝ってもらっているという感覚とは異なると思います。

 

それでも子供を見てくれるのは本当にありがたかったです。一応お礼として交通費の他に当時ひと月3万円母に渡していました。外部のベビーシッターさんなどではそんな値段で子供を見てもらうことは絶対無理ですから。

 

母とバトンタッチしても育児と並行して日々の家事をしなければなりません。寝かしつけの後にやることをためてしまうとイライラするんですよね。早く寝てくれないとあれもこれもできないって。なので徐々に前倒しするようになっていきましたが、このペースができてくるまでがまた大変でした。

 

慣らし保育という地獄

 

4月からは保育園に通うことになった子供。これでやっと私にもお昼休みができると思っていたのですが、子供が午後まで保育園にいられるようになったのは入園から1か月以上も先の話でした。

 

私の住む自治体では認可保育園の慣らし保育は1週間と決められています。

 

 まず最初に1週間は1時間でお迎えという感じ。他の子はどんどん慣れていたみたいですが、うちの子供は保育園で泣き続けていたため水分も取れず、1時間から2時間へと増やすことができなかったのです。

 

当初保育園に行き始めたらなんとかなるだろうという思いはすぐに裏切られました。丸1か月午前保育が続き、定時までいられるようになったのは入園してからもうすぐ2か月になるという頃でした。給食の時間に泣いて食事がとれない場合、午後からの保育はできないという決まりが園にあったのです。

 

保育園に少し慣れたころに体調を崩し、体調がよくなって園に行くとまた泣き続くという状況で、一体いつになったら私が定時まで会社にいられるようになるのか、予想もできませんでした。

 

取りあえず最初の2週間は母になんとか頼み込んでいたのですが、保育園に通い始めてから子供が病気になることが多かったものですから、母からは病気の子供の面倒を見るのはもう無理だといわれ、有給を使って対応するしかなくなりました。幸いなことに有給は40日最大で残していたのでそれを使うことはできましたが、仕事はどんどん滞り、自分も困り果てました。

 

慣らし保育の後も病気は続く

 

病児保育も考えましたが、保育園の慣らし期間でも泣き叫びすぎて預かってもらえなかったことを考えるとまた呼び出しが来るんじゃないかと思い、結局利用することはできませんでした。

 

本当に病気のオンパレードでしたね。ヘルパンギーナ、溶連菌、手足口病、アデノウイルス、インフルエンザなどなど、一通りしかも免疫がつかない病気が多くて複数回かかりました。あと中耳炎は何度もそして治るまでに長引きました。鼻水がでたらまた中耳炎かと思うくらいドキドキしたものです。

 

入院も数回しました。付き添いがいる病院でしたのですべて私が付き添いましたが、高い柵がついている幼児用ベットで子供との添い寝はなかなか大変です。最長では熱がどうしても下がらず8日間ほど入院した時、その時は土日だけダンナと交代して自宅に戻ってから勤務先に行ったりしたこともありました。

 

子供の病気のたびに思うんです。なんで私仕事してるんだろうって。

 

私が仕事をしていなければこんなに辛い思いを何度もさせなくても済んだかもしれない。

 

仕事も満足にできない、子供にも迷惑をかけてる、一体どうしたらいいの?

 

両立なんて無理でしょ

 

保育園入園から2か月、上司からの言葉でした。

 

「うちも嫁さん働いてたけど、嫁さんの親が朝昼晩の食事の支度から子供の送り迎え、通院まで全部やってたからできてたんだよ。親に頼めないの?じゃないと両立なんて無理でしょ。」

 

頼める親がいれば頼んでますよ。

 

そういいたいところをぐっと飲み込んで、ご迷惑をお掛けしていますというのが精一杯でした。

 

育児休暇中と同じ、ダンナの助けもなかったので本当に辛かった。

 

親に子供の世話を見てもらえれば、が強い子供でなかったら、身体が丈夫な子供だったら、ダンナと育児を分担できたら・・・、言えばきりがないですが、このころも精神的にかなりキツかったです。

 

あまり役に立たない情報ばかりの長文でしたが、最後までお読みいただきありがとうございます。このシリーズは不定期で続けていく予定です。