みんなたのしくすごせたら

アラフィフさぴこのなんでもない毎日の暮らしの雑記帳


保育園に行かせない決断


sick baby girl


 

今考えれば当たり前の話なんですが、今まで基本的には家の中で過ごしてきた赤ちゃんが集団生活に入るとき、いろいろな免疫をつけるために病気になるわけです。

 

この免疫のおかげでだんだん病気にならなくなっていくわけですが、病気にならなくなっていく期間は子供によって違います。

  

頭の中ではわかっているはずなのに、産休に入る前にはそれほど重大なことだとは考えていなかった自分が浅はかなだけなのかもしれませんが、保育園入園を前に子供が病気になるということに対しての恐怖感が大きくなっていったのです。

 

私の友人に幼稚園の先生がいるのですが、受け持っていた年少の女の子が風邪をこじらせて突然亡くなった話や、特に身体の弱い子の病気は怖いよ、という話を聞いていたため、もしわが子が病気になって取り返しのつかないことになってしまったらどうしようという思いでいっぱいになっていきました。

 

うちの子は本当に身体が弱かったんです。

 

産まれた時に小さかったためなのか本当に病気になることが多く、同じ年齢の赤ちゃんから比べても病院に行く回数は多かったと思います。

 

新型インフルエンザの流行

 

育児休暇が終わろうとしていたころは新聞やテレビでは新型インフルエンザがはやり始めたころで、もし子供がインフルエンザで命を落とすようなことがあったらどうしよう、そればかり考えていました。

 

せっかく、鬱々とした日々から立ち直ったばかりの私には、まだ前向きに考える気力が復活していなかったのかもしれません。

 

当時勤めていた会社では、育児休暇が終わっても保育園に入れなければ最大半年伸ばせるようになっていました。

心の中では保育園への入園を半年後の春にできれば乗り切れるのではないか、保育園の面談では4月でないと入園は難しいといっていたし、あと5か月の猶予があれば子供も大きくなるからきっと大丈夫。

 

春になればインフルエンザの騒動も収まっているだろうし、きっとすべてうまくいくはず。

 

保育園の入園許可

 

そんなことを考えていたのですが育休の終わるまで1か月を過ぎたころ、入園ができるようになったという連絡が入ったのでした。

 

本来ならうれしいはずの連絡なのですが、その時の私にとっては苦しい選択をしなければならない連絡になってしまったのです。

 

どうしてもすぐに入園を決断することができませんでした。次に待っている方もいるということで5日間の猶予をお願いし、まずどうしたらいいかを家族と一緒に考えることにしました。

 

保活をしても保育園に入れることができないたくさんのお母さん達のことを考えれば、自分はどんなに恵まれていたのかと思います。保育園を選んでいたころに入園できなかったらどうしようと思っていたはずの私なのに、今はこんなに悩んでいる自分に当時はどうすることもできませんでした。

 

子供のことが一番

当時、私の出した答えは何のための保育園か、何のために働くのか、やはり今は子供が一番であって、少しでも子供にとって良い形になるようにしたい、そうするべきだということです。

 

今回入園を断った場合どうなるかを園に相談したところ、4月からの希望でもう一度入園希望を出すことによって空きがあれば入れるということ、フルタイムで他の親族で子供を見ることができないのであれば確約はできないが4月入園なら可能ではないかという話をされました。

 

それを確認した上でまず会社に無給で春まで育児休業が延ばせないか人事に確認しましたがこちらは無理とのこと。ただ時短は子供が3歳になるまで利用できるとのことでしたので、時短を利用してなんとかできないかを考えることにしました。

 

そして私は母に助けを求めることにしたのです。

 

春まで自宅で

 

以前のブログにも書きましたが、私の母は産後に手伝いにきても何もせず、来てもらったことに後悔した経緯があります。

 

もうすぐ1歳になろうとする孫を抱っこしたのは数回、おむつは一度も変えたことはありません。そんな母に助けを求めるのって、無謀ですよね。でもその時頼れる人は母しかいませんでした。

 

そこで私は会社に車通勤と午前9時~午後4時までの時短勤務での復帰を相談し、お昼休みの1時間で自宅に帰ってこられるようにしました。子供のごはんやおむつ替えなどはお昼休みに済ませ、午後は子供に昼寝をしてもらえば母の負担は最小限になると考えたのです。

 

母には朝からお昼までの3時間、お昼から夕方までの3時間、ただいて家にいてくれるだけでいいから、食事は母の分も3食私が用意するからなんとか来てもらえないかとお願いしました。

 

お昼は自宅で子供の面倒をみてまた仕事に戻る。それも大変なことだと思っていましたが、もうそれしか選択肢はありませんでした。

 

当時はまだよちよちとつかまり立ちをしていた子供、行動範囲も広くなかったということもあり、春までの4か月間ならということで母もなんとか了承してくれたのです。

 

母が午前中に子供と間が持たないことがないように幼児向けのDVDやおもちゃをたくさん用意し、冷凍庫にはほぼ終わりに近づいていた離乳食の大量ストック作り、役所や銀行など今後昼間に外出できなくなることで困る用事を済ませ、仕事復帰の日までの準備を進めていきました。